ひゃくえむ。

INTERVIEW

魚豊先生×Official髭男dism藤原聡 対談インタビュー豊

  • 魚豊
    魚豊

    1997年生まれ。東京都出身。13歳から投稿を始め、2018年11月に『ひゃくえむ。』で連載デビュー。20年9月に「チ。−地球の運動について−」の連載を開始。同作は「マンガ大賞2021」第2位や「このマンガがすごい!2022 オトコ編」第2位ほか、多数の漫画賞で上位に選ばれ22年4月には「手塚治虫文化賞 マンガ大賞」を史上最年少で受賞。シリーズ累計発行部数は500万部を超える大ヒットシリーズとなり、22年4月に完結。24年10月からはNHK総合にてTVアニメが放送され大きな話題となった。さらに「ようこそ!FACT (東京S区第二支部)へ」も続けて連載し、24年2月に完結。

  • Official髭男dism
    Official髭男dism 藤原聡

    2012年結成、Official髭男dismのボーカル&キーボード担当。2015年4月1stミニアルバム「ラブとピースは君の中」をリリースし、デビュー。2018年4月Major 1st Single「ノーダウト」でメジャーデビューを果たした。ブラックミュージックをはじめ、様々なジャンルをルーツとした音楽で全世代から支持を集め続けている。2025年には自身初、最大規模となるスタジアムツアーを開催。全4公演で25万人を動員。劇場アニメ『ひゃくえむ。』主題歌の最新曲「らしさ」が配信中。

まずはお互いの作品に出会ったきっかけを教えてください。

藤原:バンドメンバーの楢ちゃん(Ba/Sax:楢﨑誠)に『チ。―地球の運動について―』がヤバい!と薦められて読んだのが始まりです。そんな折に『ひゃくえむ。』の主題歌のお話をいただき、まず作品を読ませていただいたのですが、今までの人生の中でモヤモヤするけれど隅に置いたまま年を重ねてきた感情に、名前や理由をくれた感覚になりました。

鳥肌が立ったのは、財津が小宮にかける「不安とは君自身が君を試す時の感情だ」という言葉です。僕自身、「声が枯れたらどうしよう」「音が外れてしまったら?」と、以前は不安な気持ちにかられながらライブをすることがあって、なんでこんな楽しい場所でネガティブな感情で過ごさないといけないんだ?と感じていたことがありました。ステージにしっかり立っていたはずなのに一度そういったことが起こると途端に崩れてしまいそうになるのですが、財津の“不安も引き連れてパフォーマンスする”という感覚にはハッとさせられました。

また、社会人になったトガシが怪我をしてしまい、公園で走る練習をしている子どもたちと会話しているうちに号泣してしまうシーン。子どもたちにアドバイスをしながらも、その言葉に自分自身が納得できていないから涙がこぼれてしまう。 僕も音楽をやっていくなかで「自分が楽しければいい」「このぐらいでいいや」と思いたくないけれど、そっちの方が楽な時もあることを知っています。 でもそれをやればやるほど自分のことが嫌いになっていくこの感覚にあの場面を重ね、 “俺の心にもこういったものがあるな”と震えました。

『ひゃくえむ。』にはこういった瞬間が本当にたくさんあって、“自分の今後の活動や人生観にこんなにも熱を与えてくれた作品がいまだかつてあっただろうか”と思い、「僕らで良ければぜひ書かせてください」とお返事しました。本当に大好きな作品になり、自然と何周も読み返しました。主題歌制作にあたっては「こんな曲にしよう」と頭を使って考えるよりも、自分の身体の中に『ひゃくえむ。』が入った状態で生まれてきた作品を主題歌にしようと決めました。

魚豊:ものすごく読み込んでくださっている……本当にありがとうございます。僕もヒゲダンさんの音楽が大好きなので、正直まだ現実感がありません。自分が最初にヒゲダンさんの音楽に触れたのは、ラジオで「Stand By You」(18年)を聴いた時でした。滅茶苦茶カッコいいなと思っていたらその後すぐに「Pretender」(19年)が大ヒットして、どこに行っても流れている存在になって凄いな……と感じていました。好きな曲はたくさんありますが、例えば「宿命」(19年)は僭越ながら自分が作品を作る時とセンスが近い気がしてよく聴いていましたし、「Pretender」はまさに「一人の作家が一生に一度そういうものを作ったら偉大な存在になる」マスターピースだと思います。僕は、何が美しいかを世界に対して提示することこそが作家の最終的な使命だと思っていますが、失恋ソングでありながら、どんな状況になっても「君は綺麗だ」に落とす感覚が非常によくわかりました。
ヒゲダンさんの曲を聴いていて思うのは、本当に言葉が安くないということです。難しい言葉を使ったり、混み入った話をしているわけじゃないんだけれど、その中に複雑性が入っていて、自分も常々「シンプルだけれどちゃんと説得力がある言葉」を目指したいと思っているので、ジャンルは違えど作家として本当に尊敬しています。

藤原:まさか魚豊先生にそこまで言っていただけるなんて……。ヤバい、どうしよう(笑)。今回の『らしさ』に関しては、元々は今回のお話をいただく前から「自分のアイデンティティってよくわからないな、“自分らしさ”というものをもう一度見つめてみたい」という想いで作り始めた楽曲でした。そのときはサビのメロディと『らしさ』というタイトルくらいしか決まっていなかったのですが、『ひゃくえむ。』を読んでいくなかで気づけばデモをBGMのようにして読んでいる自分がいました。であれば一度この曲でトライしてみようと思い立ち、『らしさ』というタイトル以外はメロディも歌詞も変えまくり、この作品の熱をきちんと受け止められるものができるまで改良を続けました。

『ひゃくえむ。』は陸上競技の話ではありますが、自分が生きてきた人生や音楽というフィールドでの競争の話としても捉えられて、自分の心との共通項がたくさんありました。だからこそ「こういう感じの曲が出来そう」とゴールから逆算していく作り方ではなく、自分でも全く予想していなかったところにまで連れてきてくれた感覚があります。

歌詞と物語のリンクも素晴らしいですが、やはり苦心されたのでしょうか。

藤原:そうですね。僕はせっかく主題歌を書かせていただくなら、作品と並び立つ存在でありたいと思っています。『ひゃくえむ。』の中に出てくる言葉と作詞として書いた言葉は違うものだけれど同じことを表しているといったような塩梅にしたく、歌入れの〆切ギリギリまで歌詞を直しながら研ぎ澄ませていきました。

『ひゃくえむ。』の原作の中でも、トガシが自分自身の影なのか小宮くんなのかわからないシルエットと対峙する描写がありますよね。僕自身もああいった存在がいまお話ししているこの瞬間にも視界の端っこにいます。自分の可能性を否定したり、押さえつけようとする存在だけれど、そこに甘んじてしまうと楽な時もあって、まさに「君に負けてしまう日もあった」が自分自身の身に起こっています。でもそれもアイデンティティだと受け止めたい――という僕自身の想いも投影しています。

魚豊:らしさってアイデンティティって意味ですよね。そしてそのアイデンティティって、自己同一性って訳語が当てられるくらい、同一であること、ブレないこと、個である事を意味する単語だとおもうのですが、この楽曲の素晴らしさは、らしさを何か一つを選ぶことではなく、何かと何かで迷うこと、と提示している点です。何を選んでも自分だからねというような捉え方ではなく、「強さ」や「弱さ」、「泣く」と「笑う」といった揺らぎや迷いがこの曲の中で絶え間なく運動していて、それでも同一させたいという意志もあって――その模索こそが本当の“自分らしさ”なのだと改めて思えました。

本当に贅沢な話なのですが、皆さんが僕の作品を買って下さったおかげで、少し休んでも飢え死にはしない状況になれました。そうなると「なんでこんなに悩んだりして描いてるんだろう」という状態になりました。描きたいと思うものはあるけれど、なかなかうまくいかず苦しんでいたときに『らしさ』を聴いて、勇気が出ました。弱い自分を受け入れたらそこまでの表現になってしまうし、これが“らしさ”だと言い聞かせてしまうとそこで終わってしまうというあがきに共感したいと思ったんです。 また、ナイーブでウェットな歌詞を爽やかなメロディで包むのもとても自分好みでした。僕自身も中身はウェットだけれどそれに引っ張られないカラッとした絵柄や演出にして、最後に爽やかさを提示できる漫画を作りたいと思っています。聴けば聴くほど、「この曲のようなものを次は描きたい」と思える、自分の人生自体にしっくりくる楽曲になってくれました。

藤原:そんな風に思っていただけて、本当に光栄です。僕も今ちょうど新曲を作っていて、同じように「なんでこんな苦しい想いをしなきゃいけないんだろう」と感じますし、しばらくお休みしても生きていけるくらいには多くの方が楽曲を愛してくださっているなかで、それでも気づいたら作品づくりのことを考えてしまう性分にはとてもシンパシーを感じます。

『ひゃくえむ。』は小学生から社会人まで長いスパンのライフステージを描いていますが、読み終わったときはあっという間に感じました。その感覚を音に入れたいというのがサウンドイメージとしてあり、楽曲を制作していくなかで自然と心拍数が上がっている時と同じくらいのBPMになっていきました。また、『らしさ』のサビではあえて他のメロディより音を下げています。サビは楽曲の顔でもあるのでキーを下げることで地味に聞こえてしまうリスクもありますが、一番ハートがこもっているのはこの高さなんだ、という想いでこの形になりました。

魚豊:映画は全体的にソリッドな内容に仕上がっていて、原作ともまた違う演出もあり僕も一つの作品として好きなのですが、最後に原作の爽やかな部分を抽出した『らしさ』が流れることで、全体のバランスや濃度がより良いものになったように感じています。
また、月並みな表現で恐縮ですが『らしさ』を聴くとやっぱり元気が出るんです。“やっぱり漫画が好きだからやりたい、今日も考えよう”ともう一回思わせてくれる。『らしさ』は何年か好きなものを続けた人の曲でもあるかと思いますが、別に僕がいなくたって名作はたくさんあるけれど、やっぱり自分の手でやりたいという感覚を取り戻させてくれます。

藤原:魚豊先生の作品は表情や言葉に引き込まれ、のめり込んで読んでしまいます。そうした展開や演出は、どのように考えているのですか?

魚豊:その部分は、特に重視しているところで、僕も毎回悩み続けて答えが出てないのですが、一つにはリズムを重視したいと思ってます。 最初に文章だけのものをつくって、漫画のコマに割っていくのですが、コマの連続をどう楽しませるか、心地良くさせたり、逆に居心地悪くさせるかといったリズムやテンポこそが作者の文体であり、作品を支配している重力だと考えています。もし引き込まれてくださったのなら、藤原さんの好きなテンポ感に僕自身の文体が合ったのかもしれません。

藤原:いまのお話を聞いて思い出したのは、先ほどお話ししたトガシが涙するシーンの演出です。ポツ…ポツ…と地面が濡れるコマがあって雨が降ってきたのかな?と思って読んでいたらトガシの涙で、そこから回想がトガシの脳内を駆け巡って「来た、現実が。」と倒れ込んで泣いてしまうシーンです。画から伝わってくる心情や緩急のドラマ、鬼気迫るものに音楽に近いものを感じました。もう一つ伺いたいのは、構成についてです。ラストの締め方が本当に見事でしたが、初期段階から考えていたのでしょうか。

魚豊:そうですね。自分のスタイル的に、最初から最後まである程度のプロットを組んでから始めようと決めています。一つの作品を長く続けるというよりは、コンセプト先行で何個も作品を作ろうと思い、ある程度着地点を決めてから描いています。ただ不思議なもので、最初からそこに着地しようとは思っているのですが、描いていくうちに当初とは全く違う気持ちでそこに追いつけるといいますか、今思いついたラストシーンのような新鮮さを感じられて、安心できるところがあります。

藤原:僕はエンジニアさんがミックスしてくれた『らしさ』の音源が届いたときに、原作のラストを読み返しながら聴きました。そうしたら涙が出てきてしまって……。足が速く生まれただけで自分に走ることへの熱はないと思っていたトガシがラストシーンに至るまでを思い返して、感極まってしまいました。

魚豊:光栄すぎてびっくりしています……。ありがとうございます。

藤原:「Pretender」の後くらいから、評価とどう距離を取っていこうかと考えるようになりました。『ひゃくえむ。』と出会い、トガシの「全身全霊で勝負するのは 誰かに評価されに行くのは 震える程怖い。でも少し 本当に限りなく 極 極 僅かな一瞬だけワクワクする…」その先のセリフはぜひ映画館で観てほしいですが、そのセリフに“自分が曲を作っている時の感覚だ”と気づかされました。曲がどれだけ愛されていくかは僕にはコントロールできないから、無視してもいいと思っていた時期もあったんです。でも今は変わりました。全力をつぎ込んで、結果が出たらしっかり喜ぶし、そうでなければ必死に悔しがるのが人生の醍醐味なんじゃないかと『ひゃくえむ。』に教えてもらったからです。

(取材・文/SYO)